2024年3月13日水曜日

出世

・「紫式部と道長の家の違い 平安貴族が奮闘した出世の壁」(『日経新聞』)ださうです。「2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』が1月7日にスタート。『源氏物語』の世界をはじめ、紫式部や藤原道長など平安貴族が注目されています。そこで(中略)平安貴族はどのような仕組みで出世が決まっていたのか、厳しい身分制度とままならない昇進などについて聞きました。」といふ記事です。長い記事なのでポイントのみ、まづ人数、「公卿は20人前後でした。その家族や皇族、身分の高い僧侶、女性を含めても、公卿身分に相当する人は100人にも満たないでしょう。」これが平安朝の上流貴族です。従三位までです。この下に所謂受領階級が続きます。「――公卿への昇進ルートにはどのようなものがありましたか?」といふ問に対しては2つのルートがあつたさうです。細かいことは抜きにして、「頭中将など近衛中将を経て公卿となるのが羽林(近衛府の別称)ルート、頭弁など中弁・大弁の弁官を経て公卿となるのが弁官ルートです。」前者は「ボディーガードの長であると同時に、日常生活をサポートします。移動の付き添いや食事のお供といった身近な世話も頭中将の仕事です。」後者、「頭弁は、文書事務や年中行事の際の経費や資材調達などの事務処理を担当します。より実務家タイプですね。」といふことですが、ただし、「摂関の子は、同じルート(羽林ルート)を超特急のスピードで駆け抜けます。」とあるやうに出世は圧倒的に早いさうです。要するに家柄で決まるといふことでせう。今でもさうかもしれませんが、家柄は大事です、本当に。平安時代より前からかうだつたのでせう。見出しがそれを端的に表してゐます。当時の京の人口が何人か知りませんが、貴族と言はれるのはそのうちの 800人超のやうです。その中から生まれたのが源氏等の女房文学です。狭いですね、本当に。